政治家・官僚・ジャーナリスト

鉢呂経済産業相、辞任。
自己の言動をコントロールできない人間は政治家になるべきではない。
人前で泣くような人間や自分の言葉がどのように受け止められるかを考慮しない人間は政治家の資質を欠く。
「死の街」発言は福島県民の予想される反応を考慮していないと言う点で軽率であった。しかし、「死の街」をもたらしたのは国家であるという文脈のもとでは、表現としての「死の街」は妥当であろう。ただ、その表現を用いたければ、文脈を確定する必要がある。最近の政治家はそのようなコミュニケーション上の努力を怠っている。文脈を考慮しないその場限りのつぶやきを繰り返し、言葉狩りをジャーナリストの職務と勘違いしている小人の獲物にされている。鉢呂はコミュニケーション能力に劣ることを示したと言える。
さて、「放射能つける」の件、真相は薮の中である。ただ、言えるのは、「薮の中」のままにしているジャーナリストは問題であろう。この程度のことの真相をあきらかにできない、あるいはしないジャーナリストの資質も問題であろう。
9.11から10年。日本人死者、24名。同朋の死を、ここ10年、日本のジャーナリストは無視してきた。同朋の死を無視することにより、テロリズムの問題を回避してきた日本のジャーナリストたち。
半世紀を超えた戦後の憲法体制、そのもとで政治家が腐敗し、官僚が腐敗しているのは明らかになった。そして、ジャーナリストの腐敗も明らかだ。権力に関わるエリートの選出方法を改める時が来たように思える。未来に開かれた新憲法が必要だ。